◆Lovesickness 01 #2


 夕闇の中ファミレスの駐車場に現れたのは、ポルシェだった。
海馬が運転しているらしい。
 助手席に乗り込むと、ドアを閉めるや発進された。
「すまん。今取り込み中で、急いでここを出る」
 いきなり謝る海馬も珍しいので、了解と言ってシートベルトを付けた。
ナビに、地図とは別の赤い点滅が見える。他にも黄色のマークや、よくわからないものが映し出されている。
遠くにサイレンの音がする。
――もしかして、パトカーに追われてる?! ――
 車は大通りを法定速度ぎりぎりで走ると、大きな橋を渡りショッピングセンターの裏手に入った。そこは人気がない路地なうえ、照明が壊れていた。
 海馬は左腕のクロノグラフを見つめていた。外で軽いモーター音がして、止まった。
サイレンの音も聞こえない。
 今度はゆっくりと発進した。路地を回りまた同じ通りに出るが、橋へは戻らず反対方向に進むつもりらしい。
さすがに大通りはライトが点いていて明るい。
 城之内は話し掛けていいのか訊いた。
「海馬、もう話せんの?」
「ああ」
「この車、色、変わってないか?」
「よく気付いたな」
 パールベージュからシルバーに変わっている。
それでやり過ごすつもりかと思ったら、きちんと答えが返ってきた。
「そう。たった1分で塗装とナンバープレートを交換できる。ソリッド・ビジョンの応用だがな。
夜目にはわかるまい」
「やっぱパトカーに追われてたのか!!何してんだよ社長!!…あれ、お前免許は?」
「単なるスピード違反だ。免許は皆が受験している間に取ったぞ。
貴様の学校の近くに、気持ちの良い一本道があって、そこを走っていただけなんだが」
 川沿いの道のことだろうか。昼間は渋滞しているが、夜ともなれば空いている。ただし信号機がないために出せて30キロ程度では、と考えた。
「100キロぐらい出してたのか」
 返事がない。都合が悪いと黙り込む癖があると気付いていたため、畳み掛けて訊いてみた。
「150キロ」
 声を出さずにニヤリと笑った。
「ばっか、そしたら即免停だろ」
「それなんだが」
 細い道を曲がり、個人所有らしい広めの駐車場に入ると車を停め、フロントガラスに様々な物を映し出した。
細かな地図にルートが別色で現される。
赤い丸が注意を受けた場所、緑が城之内を拾ったファミレス、黄色いのは警察のNシステム、らしい。川を越えると別の県になるために追跡がなかったようだ。
 海馬は左耳につけたヘッドセットで、警察無線を聞いていた。
「Nシステムには撮影されなかったので」
 城之内はなんでそんなことわかるんだと思ったが、疲れることになりそうで訊かなかった。
「追い掛けてきたパトカーから録画データを抜いてしまえば、大丈夫だろう」
 そう口にすると、車が録画していたパトカーの車体ナンバーから現在位置を割り出し、録画データへアクセスした。パトカーと、所属の警察署の二つに。
――ハッキングしてます!いつもながら、イキイキしているなぁ――
 目の前で車の映像が削除された。
「停められて免許など見せてはいないからな。スモークガラスで顔は映っていない」
 城之内はそれだけで平気なのかという顔をしていた。
 海馬はもう少し考えを巡らせると音声データも削除した。
「これで、免許は問題なしだ」
いつもなら高笑いをするところだが、潜伏中の身であるため口元に笑みを浮かべるに留めた。
「オレに電話くれたのって、パトカーの後?前?」
「直前だな。電話は煩くなかっただろう」
 少しだけ窓へと顔を逸らした。
「貴様に会うためにちょっとアクセルを踏み込み過ぎたんだ。…これでいいか」
 城之内はシートベルトを外すと、海馬の上に覆い被さり、切れ長な瞳や柔らかな頬にそっと触れた。
「迎えに来てくれて、サンキュ」
 そう、本当はこんなたわいもない会話から始まるはずだった。
「ああ」
「フロントガラスもスモークになってる?」
 海馬がうなずく。
 城之内は軽く口付けた。顔を離すと、青い瞳とぶつかった。
「やっぱり…。お前の目の色大好きだけど、キスのときはつぶろうって、言ってるよな」
「どうしていようが、オレの勝手だろう」
 直前まで城之内を見ていたいからだと、海馬はなぜか言えないままだ。次に続く言葉とその手が優しいせいかもしれない。
「はいはい。ほら、まぶた閉じて」
 指で軽く触れ、まぶたを閉ざされる。
「口は少し開けて、そう」
城之内の舌が入り込んでくる。少し熱いとさえ感じる、他人の体温。それがとても心地良い。しばらく口内を味わった後、離れた。
「海馬」
 名を呼びながら手首を掴んで、ジーンズの膨らみに触れさせる。
せわしなく上下していた胸の動きが一瞬止まる。
「んな、思いっきり引くなよー。オレはいつでも準備OKってだけだよ」
 海馬はひとつ大きな息を吐くと、城之内の腕を取って引き寄せた。もっとフィットした素材のパンツを履いているので、軽く触れただけで熱いことがわかる。
「オレのキスで感じてくれるなんて、うれしい」
それには、城之内の額をピンと弾いて応えた。いってーと言いながら身体が離れていく。もちろん、わざとふざけているのだと気付いている。
「ここでは無理だ」
「うん。戻ろう」
 車の偽装がばれないうちに。

+  +  +  +  +

 フロントガラスをクリアにすると、再び大通りに戻った。
 城之内がつぶやいた。
「オレも免許取りたいな」
「そんな時間があるのか」
「海馬はどうせ試験場で一発で免許、取ってきたんだろ?」
国際免許で高校生のうちから車の運転をしてきた海馬のことだ。
「まあ、そうだが」
「今ならお前、少し時間あるんだよな」
「まだ大学も始まっていないしな」
 夏になると、海馬はアメリカの大学に行ってしまう。
「海馬のとこは車の練習ができるくらい十分広いし、教えてもらうってのは難しいかな」
「貴様にオレが、か?」
 城之内は大学に入るまでの、勉強漬けの毎日を忘れてしまったのだろうか。何度も鬼だの悪魔だの言われた覚えがある海馬は、考え込んだ。
「今のうちになるべく会っておきたいし、一緒にドライブに行ってみたい」
 上機嫌で城之内が話す。辛いことをすぐに忘れてしまえるのも長所のうちかと、しらず口元が緩んだ。
「うちにあるのは、国産車が少ないが、平気か」
「運動神経だけは自信あるから!今から習って、7月くらいにキャンプ場みたいな所を回りたい」
「ぶつけると、教習所が良かったと思うような修理代になるのは理解しているのか?」
「あー、そうだった」
 海馬邸に500万以下の車はなさそうだ、と並んでいる車を思い浮かべた。高級車は塗装も高価なので修理費がばかにならない。植木も石畳も高そうだと気付いた。
「詰めの甘い。もう少し考えろ。まだ履修も決まっていないのだろう」
「なんで、知ってんの?」
 まじまじと運転する横顔を見つめてしまった。
「本田がメールをくれた。奴は見かけよりまめだ」
2人がメールのやり取りをしているとは思わず、動揺したがそれには触れずに、なんとか決心したことを口にした。
「小学校も選択すると、毎日学校に行くことになりそうでさ。ちょっと悩んでたんだけど、もう取るって決めたから。明日本田と届けを出すよ」
「そうか」
 海馬はふっと優しい笑みを見せた。
「カップルに間違われたというタイトルと、姫をよろしくとあったが何のことだ」
 城之内がそれはー……と、ため息混じりに話し出した。
「今日院生の人と話したんだけど、学部の女子に、オレと本田がカップルに見られてると教えてもらってさ。本田が凄く落ち込んでんだ」
 海馬は声を上げて笑いながら、どうするとそんな誤解をと続けた。
「付属から来た女子は彼氏がいない子が多いから、入学したての一時期、男子学生に夢を見る、とかで」
「夢が男同士のカップル?よくわからんな。その院生も女なのか?」
「きれいな女の人。自分も付属だったのかも。バイトを紹介してもらったんだ」
「ほう。どんな」
 言ってからしまったと思ったが、渋々答えた。
「…生き物の管理です…」
「生き物?」
「実験ネズミの健康管理だよ!笑いたければ笑え!」
車内に城之内の声が響き渡った。沈黙に耐えきれず、反対の窓へ顔を背けた。
「城之内、確かに口にしたのはオレだ。ただ……」
 海馬が言い淀んだ。
「何だよ。続きがあるなら聞かせろよ」
 いつかこの話をしなければと思っていたのは、海馬だけではなく城之内も同様だった。
「オレは貴様にだけ、あだ名を付け続けていた。当時は目障りだったからだ。ただ…もしかしたら…それがなければ、今ここに一緒にいなかったのではと、思うことがある。他の人間より、気になっていたのだろう」
 うっすらと、海馬の頬に赤みが差した。
「それってまさか、好きな子を苛めたくなるみたいな、ハナシ?」
「………………」
「でもそれなら、オレが付き合ってくれって言ったら、すぐにOKしてくれても良かったはずだよな?」
「城之内、オレにも自分では把握できていない『心』という領域があるらしい」
 似つかわしくない科白だとわかっているために、頬の赤みが増していった。
 城之内にも、海馬の言わんとしていることは理解できた。それは誰しもそうだろう。
「これから、何と呼んで欲しい。今のままで構わないのか?」
 今更尋ねるのもおかしな話だと思ったが、訊いた。
「2人のときは、たまに瀬人って呼んでもいいか?」
「は?」
 相変らず、城之内の文脈は読めなかった。
「それで今までのは、チャラってことで。だからあんまりひどいのは、もう使うなよ。
オレのことも、克也って呼んでいいよ」
「…わかった」
 今ひとつすっきりとはしなかったが、過去の過ちについて許されたのなら、良しとするべきだろう。知らず熱くなっていたのか、ハンドルを握る手が汗ばんでいた。エアコンの温度を下げた。

+  +  +  +  +

 しばらく無言で過ごしていたが童実野町が近くなった辺りで、もうひとつの疑問について城之内が話し出した。
「海馬って、高3の初めの頃あだ名が付いてたの、知らないの?」
「あだ名?いや、知らん」
 訊きたいところもあったので、細かく話してみることにした。
「お前さ、年中オレのこと伸しちゃあ保健室に連れてってただろ」
「場所もわきまえずに、さかってきたからな」
「オレも余裕がなかったというか…そうじゃなくて、横抱きにして運んでたろ!」
「そうだったな」
「ああいうの、世間でなんていうか知ってるか。『お姫様抱っこ』って呼ぶんだ」
「そうか」
涼しげな声で返され、城之内の声は大きくなっていった。
「だからお前は影で『王子』って呼ばれてたんだよ」
「それで、凡骨は『姫』か」
 車内に高笑いが響き渡った。
「お前のファンに恨みは買うわで、散々だったよ。城之内くんが倒れていましたとか言って、保健室に置いてったんだろ、優等生」
「本当に起きないとまずいと思ったので、一応配慮してのことだった。そんなに何度もあったか?」
「5、6回ぐらい」
「ふぅん」
 ……もっと多かったかもしれない。けれど非を認めることになるため言いにくかった。海馬は正確な回数を覚えているだろうと思った。
「ずっと訊きたかったんだけど、なんで横に抱きかかえる必要があるんだ?」
「オレは絞め技か、首の後ろで落としていた。首筋に負担がかかる。なるべく頭を動かさないように運んでいただけだ」
淡々と語られて、がっくりと肩を落とした。
「それで死んだりすることがあるって、TVでやってるのを見た」
「丈夫な城之内には、何も問題が起きなかっただろう?」
 海馬はニヤリと笑った。
「理由があったとは思わなかった……」
城之内が言ったのは、運び方について。しかしその言葉に少し違う響きを感じとり、一瞬だけ隣を伺った。特にふさぎ込んだ様子はなかった。
「あの頃はオレだけが一方的に、お前のことを好きなのかなと思ってたんだ。いつもオレが強引にって感じだった」
 当たらずとも遠からず――海馬は内心返答に詰まった。
「ホントは嫌で、怒ってんのかと思ってるところもあったんだ。だから恥ずかしい目にあわされてるのかなって」
「呆れるな」
 静かな声で海馬が言った。
「社交辞令のボディタッチには、目を瞑るしかないがな。それを喜んでいるとでも?オレが嫌いな相手に触られたりできない人間だと、気付いていなかったのか」
「それは、なんとなく思ってたけど」
「落ち着ける状況でもないのに、手を出してくるから黙らせた。キス程度なら、落としていない」
 言われてみればそうだったのかもしれないと、思い出してきた。受験勉強を本格的に始めてからはほとんど海馬邸に通っていたため、学校で何かをしようと焦ることはなくなっていた。
「あの頃は貴様のことが、よくわからなくて」
 正しくは、城之内に対しての自分の感情がだったが、そこまで説明するつもりはなかった。
「え?」
「あまりに口説かれ続けると麻痺するものらしい。元々慣れていたせいか、貴様には触られても平気だったしな。寝たほうが早く答えが出るかと思ったんだが」
 余計わからなくなったとは、言わなかった。口説かれていたから好きになったのか、元から好意を持っていたのか。先刻の話題の中で答えてはいるのだが、城之内は気付いていないようだ。
「オレ、ちゃんと好きだって告白した。何度も、何度も…。それにお前も同じ気持ちになってくれたからじゃなかったの?」
 やっぱりあの頃の違和感には理由があったのか、と思っていると、海馬が追い討ちを掛けるような本音を漏らした。
「興味はあった、というのが近い」
 城之内はだんだんと落ち込んできた。
「海馬、今はオレのこと、どう思ってんの」
 一瞬躊躇したが、真面目に答えた。
「嫌いだったら、受験の面倒までみない。迎えにも来ない。好きだ」
 ハンドルを握っているため正面を向いたままの告白だった。その分大きな声で伝えた。
「う……、よかったぁ」
 城之内は少し涙ぐんでいた。
「あいかわらず…よく涙が出るな」
「うるせぇ。お前が泣かしたんだろ」
 屋敷に着くまでに泣きやめ、と海馬が言った。いつもより優しい響きだった。
「海馬がアメリカに行く前に、免許を取りたいと思ったんだけど学校が優先かな。せっかく入れたんだし」
「旅行くらいなら、車を出すが」
 城之内は言いにくそうに、赤くなりながら計画を話した。
「ええっと、2人で免許持ってないとダメなんだ。お前、やるといつも寝ちゃうじゃん。カーセックスしたらさ、帰りはオレが運転できな」
トスッと軽い音がして、城之内の頭がだらりと下を向いた。
「それなら先に車を買え!」
――忌々しげに声を上げてしまったが、社用車でなければ、構わないということなのか?――
己の発言に疑問を持ったが、深く追求するのはやめることにした。

20150516