◆Lovesickness 01 #9


 2日続けて脱水症状になった海馬は、さすがにぐったりと横になっていた。城之内がマットレスと肌掛けを出してきたので、その上の住人となっている。
――オレは、少し眠ったのか?雨はいつの間にか上がったらしい。天窓にちょうど月がかかって、きれいだ。黄色っぽくてぼんやりとしている。
…黄色、黄色い頭はどこに行った?――
 少し頭を持ち上げ足元を伺うと、風呂から上がったのか、髪を拭きながらぼんやりとしていたらしい瞳とぶつかった。来い来いと手招いてみると頭の近くに寄って来た。
声を出そうと思ったら、掠れてしまって言葉にならない。半身を起こされ、スポーツドリンクを飲まされた。
「頭が痛いとか、ないのか?」
大丈夫だ、と声にしているつもりが、出ていないらしい。仕方なく首を縦に振った。
城之内の腕を取って隣に引き摺り込む。正確には、力が出ないので肌掛けをめくっただけだ。
 何かオレに言い出せないことがあるのか?オレはやっと言いたいことを言ったぞ。文句はまだ言っていないが……。言葉にできないまま、まぶたが落ちて暗くなった。

 再び目を覚ましたのは、明け方近くだった。
 頭上にあるスポーツドリンクを飲んだ。やっと手を開いたり閉じたりといった普通の動作ができるようになっていた。隣で動いていたためか起きてしまった城之内と目が合った。
「声、出る?寒くない?」
 懸命に手当てをしてくれた様子を思い出し、黄色い頭を胸元に引き寄せた。
「大丈夫だ」
 海馬は城之内の髪をいじるのが好きだった。撫でるというより、ぐしゃぐしゃとかき混ぜているのだが、本人から文句が上がったことは無い。
「城之内、以前から気になっていたが、身体に何かコンプレックスでもあるのか?」
 身長も高いし、平均的日本人男性より見た目の良い部類に入ると思うが、と海馬は続ける。
まあ、背丈の割にはかわいらしい感じがするな。肩幅がないせいか。金髪と琥珀色の目のせいもあるだろうが、オレはそこが好きだ。
 城之内は胸元で呆然と話を聞いていた。声が出ない状態だった海馬が、急に喋り出すとは予想もしていなかったためだ。
「それから、オレと比べても仕方がないところで、いじけるのはやめろ」
 背が高い腕や足が長い、一般的には欲しがられる要素だが、普通サイズが合わないためそれなりに面倒はある。
顔は子供達に気に入られているのと貴様の好みのようだから、良かったがな。あまりいない顔のようだから、広告塔にはなったな。
財力に関しては得られた以上の代価を奪われた気がする。そのおかげで子供達を救える訳だから文句は言えん。
頭は…、限界まで鍛えることができるなら、それで構わないと思う。最初から諦めるのは問題外だが。仕事も人それぞれ得意なものができれば十分だろう?

 動揺がおさまると良く喋るのが海馬の通常運転だったと口元が緩んだ。
その口元を引き締めて、怒られるのは覚悟の上で城之内は質問をした。
「海馬、いつから後ろでいくようになったの?」
 一瞬ゆらっと立ち昇る影のようなものを感じたが、それは無視して返答を待った。
「多分すぐに眠ってしまうことが多くなった辺りだと思う。…骨盤と頭蓋骨は繋がっている。頭が緩むと人間は眠くなる。オレは、割と閉まっているタイプだったらしい」
 海馬は城之内から見えないよう、顔を上に向けてしまった。
「だから…だいぶ経ってからだろう。……言わせるな!毎度毎度、昏睡するように寝付いたら、おかしいだろう。
気付け!!」
 所々掠れた声を出しながら叫んだ。
 海馬の顔が赤いのは、胸元にいる城之内からは見えなくてもわかった。
「ほんとにごめん。ただオレに慣れてくれたのかなって思ってた。心の、話なんだけど」
「それもあるが…身体が勝手に貴様に反応する」
「…オレにだけって、自惚れるぞ、海馬っ」
 潤んできた目元を海馬の首筋に押し付けた。
「多分、オレも…愛している」
……かつやと囁く声が降ってきて、涙が止まらなくなった。優しい手が宥めるように髪を梳いていく。
 ムードに流されそうになった城之内だが、言葉にひっかかりを感じて顔を上げた。
 海馬は抱えていた頭を離し上体を起こすと、顔を隠すように水を口にした。
「涙は止まったのか」
「それは関係ないだろ。多分ってなんだよ。オレは、海馬を愛してる」
 これ以上話がかみ合わなくなる前に顔を見て話したかった。
 腕を強く引くと、あっけなく耳まで赤く染めた海馬が現れた。鼻に掛かった声がゆっくりと言葉を紡いでいく。
「オレに素直さを期待するな。自分で制御できないのは耐え難いが…お前でないと嫌なのは、本当だ」
 まぶたを閉じると涙が一粒転がり落ちた。
 今度は城之内が胸元に海馬を引き寄せた。滑りの良い栗色の髪に顔を埋めると、海馬と名を呼び背中からぎゅっと抱きしめた。
 力強さに海馬の強ばっていた身体から力が抜けていく。詰めていた息も大きく吐き出せるようになった。
「……うれしすぎておかしくなりそう」
 城之内の声は震えていた。
 海馬は背中へ手を伸ばし、宥めるように擦った。長い指が過ぎるごとに嗚咽は小さくなっていった。

+  +  +  +  +

 携帯のアラームが2度鳴った。その度に器用に止めてしまうのを城之内は見ていた。
「せーとーちゃーん、起きるんだろー」
 起きると言いながら、また眠りに落ち掛けている顎を上向かせると、鼻を摘まんで深ーくキスをした。
「っふ、息が…できなくなるまで、するな!」
 やっと覚醒したらしく、抜け出していった。
今日はモクバの学校の始業式だ。きっと見送ってやるつもりでいるんだろうと思った。
 テーブルの上にコーヒーと果物のジュース、皿の上にクラッカー、ジャムとツナ缶を開けておいた。
濡れた髪を拭きながら現れた海馬は、それをじっと見ていた。
まあ、あり合わせのもので用意したので、お気に召さないだろうとは思っていた。
「城之内」
「ん?」
「ありがとう。いただく」
ストレートに感謝され、面食らってしまった。おうと答えながら、一緒に食べた。
 その席で、城之内は意外な物を渡された。
「この鍵は、預けておく。自由に使って構わない。たまに掃除でもしてやってくれ。
 ドアの暗証番号は貴様の家の番地と、本田のバイクの番号を逆から入力して、最後にBERWDと入れろ」
「数字だけしかなかったぞ?」
「そのくらい考えろ」
「何で本田…あー、なるほど、わかった」
 バイクの番号は割り当て制だが、その番号は語呂合わせとも言えないくらい、簡単な数列だった。
「アルファベット、せめてヒントは?」
「DはDragonのDだ。どうしてもわからなかったら訊け」
 コーヒーの追加を取りに行っている間に、海馬が城之内のシャツを身に付けていた。
「サイズは、問題ないようだな」
一折されていた袖口を伸ばして、ボタンを留めた。
「瀬人ちゃん!」
 シャツは黄みの強いベージュにブラウンのラインが入っている。海馬が「ひよこ」と呼ぶ黄色い髪で、黄色っぽい服を着ていたら、目立つのは当然だと改めて気付いた。
けれど今呼びかけたのは別の問題からだ。
「……ちゃんはいらないだろう。何だ」
 城之内は近付くと背中に腕を回し、がしっと抱き締めた。
「なんでも似合うのはわかったけど、その服意外と透けるから、屋敷に戻ったら速攻脱いで!」
 誰にも見せたくないとぐずぐずとしがみ付いていたが、首元を覗いて、あ、とつぶやくと離れていった。
 朝からにぎやかなことだと思いながら、海馬は外したままだった皮紐に通されたロケットを身に付けバスルームへ向かった。


 ドライヤーを掛けながら、鎖骨の中心、窪みの下辺りに赤い跡のようなものを発見した。
「ごめんなさい。夕べ瀬人ちゃんの意識が無いときに誘惑に負けました…」
 後ろに絆創膏を持った城之内が現れた。
「ほう。人が倒れているというのに、随分と楽観的な看病だな」
「とりあえず、これ貼って!ワイシャツなら見えない…はずだから」
 城之内のシャツは鎖骨の下辺りに第1ボタンがくるカジュアルな物だったため、いまひとつ説得力に欠けていた。
「ここだけか?」
「肩と脇腹に。そっちはオレが貼るから」
 心底、すまなそうな様子に海馬は笑った。城之内は普段見える場所に跡を付けたりはしない。
 日本に戻ってから、忙しくて(色々あって)まだ寝ていないなと思い返した。
「克也、今晩の予定は?」
「特になし…っ、克也って呼んだ?!」
 絆創膏を貼り終え、口を大きく開けたまま顔を上げた。
「それでは、一緒に寝よう克也」
「う……はい」
 尊大な態度に勝てるはずもなく、顔を赤らめてうなづいた。海馬は耳元に口を寄せて囁いた。
「屋敷はどこも防音されているからな。後ろを開発してやろう。いくらでも声を上げてくれ。
 朝食の席でモクバに会うときの恥ずかしさを、味わってくれ、克也」
真っ赤になっている耳たぶを軽く噛んだ。
「え…モクバ…?あぁ!」
 海馬のせめてもの意趣返しだった。
先程のような科白を城之内は口にしたことがある。
オレんち、音が漏れるから海馬のとこで…のようなものだったが、自室でそんな夜を過ごした後、初めて家族に会うときの気恥ずかしさを思い知らせてやりたかった。今は家族同然のモクバが相手なら、同じ気分になるだろう。
「今まで、色々と、ごめん」
 真意が通じたのかはわからないが、城之内が謝った。

END


20150516