◆Lovesickness 01 #7


 その建物は車でほんの5分程離れた場所にあった。城之内が言い出さなければ、忘れていた。
 不思議なことに門の鍵は今日運転してきた車の中に置いたままだった。
「オレって…やっぱ運だけは良いのかな」
 神妙な手つきで鍵を片手に首を傾げていた。
ほとんど乗らない車とはいえ、きちんと整備はされている。それでも置き忘れられていた、鍵。
「確かにな」
「非ィ科学的とか、言わないんだ」
「それだけが取り柄だろう。取り上げたら、凡骨以下だからな」
 城之内は苛立ちながらも鍵をセンサーに向け門を開けた。
 駐車場に車を停めると海馬は建物を見上げた。
 タイル張りの外観で、縦に細長い、剛三郎には似合わない現代建築的な建物。高台にあるため街の明かりがきれいだったが、今晩のように雨が振りそうな夜は風が湿気を含んで肌寒かった。
 暗証番号鍵付きのドアを開けるのと、ほぼ同時に雨が降り出した。
 玄関の照明はオートで点いたため、城之内はリビングの照明を探した。スイッチ横のつまみを動かし落ち着いた明るさに設定した。それから床暖房のスイッチも入れた。ほんのり暖かいと感じる程度で。
 この家は2階分吹き抜けで、海馬邸とはまた違った趣きを持っていた。
 窓が広く外の庭と繋がっているような錯覚を起こさせる。外からは見えない特殊ガラスらしいが、ロールスクリーンも付いている。
換気のために開けた窓を閉め2/3程スクリーンを下ろした。外は雨で、庭が見えてもつまらなく感じたからだ。
2階部分にロフトがあるが、ガラスの天窓が近すぎて、空が落ちてくるような錯覚に陥ってしまう。その窓のスクリーンまで閉めに行かなくてもと放っておいた。
 海馬はフローリングの埃を軽くワイパーで払った。その後バスルームに行き、ざっと流してから湯を溜めた。
城之内の運の強さは、ここでも発揮されていた。未使用住宅類の電気やガス・水道などは、渡米前に止める指示を出す予定でいたからだ。
 掃除道具を片付けて戻ると、城之内がキッチンに居た。
「何かあったか」
声を掛けると、びくっと身体を震わせた。
「足音立てずに近付くなよ。びっくりするだろ」
怖いからやめてくれ、の間違えだと思ったが、否定せずに様子を見ていた。
「意外と冷凍庫につまみみたいのが残ってる。海馬は何飲む?」
並びに立つ、ワインセラーから、ワインを取り出しグラスに注いだ。
「水がいい」
「はいって…勝手に立ち飲み始めんなよー。つまみ持ってくから、向こうに座ってろ」
 城之内はミネラルウォーター、空のグラスを数個とナイフやフォーク、小皿をトレイに載せると、海馬に手渡した。さすがに様々なバイトをしているおかげか、手際が良い。
 海馬は以前訪れたときに簡易テーブルを用意したのを思い出し、サービスルームの隅にあったローテーブルとクッションを持ち出した。
 トレイに載った物を並べている間に、城之内が現れた。片手にはワインクーラーと乾きものの袋、反対の腕には温めたピザやポテトを皿に盛って器用に片手に載せている。
「オレは酒はいらないかな。だからって先に1人で飲むなって。乾杯しよ?」
 発泡水とワインでグラスを重ねた。

「ああ、そっか、飲み比べしたから色々残ってるんだ」
 城之内はここで自分の酒量を測ったことがある。
 入試が終わり合否通知を待っていた頃、海馬が大学に行ったら酒は飲めたほうがいいかもしれないと言い出した。酒は20歳を越えてからではと止められない強引さがあった。
 時間があいたときに、様々な飲み方を試した。
 結果、特に問題はないということがわかった。酒量も並で強くも弱くもなく、暴れたりもしなかった。
「城之内」
「ん?」
「さっきから何を思い出し笑いをしている」
「ここで飲んだこと思い出してさ」
「ああ」
「心配してくれて、ありがとな」
「飲んでいるときも普通だった。普段のほうがにぎやかなくらいだ」
 言いながら海馬は手酌でワインを注いでいた。
 もしや照れ隠しかと思いつつ、城之内は海馬が何を好むのか、どのくらい飲めるのかを知らないことに気付いた。
「お前はどんな酒が好きなんだ?」
「ワインは好きだ」
 大きなクッションを背中にあてストレートジーンズを履いた足を伸ばしている。いつもは見せない、首元が見える長袖Tシャツを着ていた。それが新鮮で、飲んでもいないのに海馬を見ていると赤くなってしまいそうだった。
――なんでオレばっかり発情期みたいなんだよ。海馬も無防備過ぎるだろ――
 今晩は話をしに来たんだからと自分を宥め、話題を変えた。
「オレは、海馬をアメリカに行かせるのは心配だ」
「なんだ、突然」
「そりゃお前は日本人としては背が高いよ。会社にいればSPもいるし。でも大学に行ったら、きっと熊みたいのがごろごろしてるんだ」
「それは学部によるだろう」
「お前さ、自分の魅力、ちゃんとわかってる?!
日本ならオレみたいに目鼻立ちがはっきりしてるとか、ちゃらちゃらしてるのが受けるけど、向こうに行ったら、そんなのモテないんだ!」
 自分でちゃらちゃらしてると言ったのがおかしくて、耐えられなくなった海馬は吹き出した。大分、緊張は解けたらしい。
 笑ってるけどさーと言いながら、話を続けた。
「きっと言われる。陶磁器のような白い肌。切れ長の瞳。青い瞳はサファイアの如く輝く。東洋の神秘、現代に現れたミューズ」
「随分と、芝居がかっているな」
「しかも外面の良いお前は、老若男女関係なく好かれるんだぞ。髪は茶色だけど、サラサラのストレートだし、キメの細かさと白さは、日本人形みたいだ…男だから五月人形かな?オレはいつでも撫でて触っていたくなる。他の奴だってきっとそう思う。だから心配なんだ」
ワイングラスをゆるく回していた海馬が、城之内を見て言った。
「今まで、そんなことを言われたことはなかったが」
「うっ…面と向かっては言いにくかったんだよ。お前の身体が目的みたいじゃないか」
「違うのか」
「わかってるくせに、そんなこと言うなよ。そういう、意地の悪いところも含めて、全部好きに決まってるだろう!」
 赤くなりながら叫んだ。
 海馬は、了解と笑っている。
「教授に交際しないと、単位を与えないとか言われたらどうすんの」
「そんな輩に習う気はないが、日本に相手がいるからと断る」
「それって、オレ?」
「他にいるのか」
 ちょっと感動してしまった。海馬はあまりこういうことを言わないので。
「気を付けるようにはしよう。昨日の『姫』か。面白いかもしれないな」
「何が」
 何か企んだらしい。そんなときの海馬は楽しそうだ。
「凡骨、さっきのは男から言い寄られるという話か?」
「へ?まあ、そう。向こうの女の人は強そうだから、権力をかさにっていうのは両方ありだけど」
「オレは貴様以外に男に口説かれたことはないぞ」
 海馬の発言に、城之内は固まって大きく目を見開いた。
「お前、いつも親父連中にべたべた触られてるじゃん。気付いてないだけじゃないのか。海馬社長、今度別席でもとか言われてないの?」
「あれは…そういう意味なのか?まあ契約など1人で出向くことはないからな。確かに日本人の男は酒の席での態度が悪い。あまりしつこいのは物陰で倒しておいたが、次に会っても覚えていないようだったぞ」
「やっぱり、狙われてるじゃないかー。見た目はお上品にしてる狸どもだからなあ。自分より金持ちの社長様に、はっきりは言わないか。
接客やってると、ああいう類の親父にオレでも誘われたことあるからさー」
「ほう。どうなった?」
「どうなるはずもないだろ。何でも金で買えると思ってるから、何発か蹴り入れて終わり」
「なんだ、つまらん」
「…外で声を掛けられたりはしないのか」
「親子や、子供達が多いな。女子大生風やOLの集まり、害はない」
 姿は見えなくとも、海馬の後ろには屈強のSPが付いていることを失念していた。怪しい素振りの男女は、先に排除されてしまうだろう。
「でも大学には、SPはついていけないだろ?」
「黒服では目立つので、普通に紛れ込めるような人選にと、手配してある」
「さっすが海馬サマ。先に言っとけって。オレ、バカみたいじゃないか」
 心配してくれるのは、ありがたいぞ城之内と海馬が笑った。けなさないなんて珍しいと思っていたら、笑顔のまま爆弾を落とされた。
「貴様にも常時1名はSPが付いている。全部で4名。今度紹介する」
「何それ。聞いてない。プライバシーは?」
 さらりと大変なことを言われ、城之内は訊き返した。
「オレを選んだときから諦めていると思ったがな。オレだってそんなものはないぞ。凡骨、間抜けすぎだ」
「じゃあ、会社の人も知ってるのか。オレ、お前の人生変えちゃった?モクバになんて言おう」
「会社は一部だけだ。屋敷の者は知っている。そうでなければ、オレの部屋で一緒に寝るのはおかしいだろう。家族でもない男と普通はベッドを共にしたりしない」
「えっ、じゃあ去年から?!何で教えてくれないんだよっ」
「事実を伝えただけだ。貴様の発情防止で他の連中に来てもらったというのに、バレないと思っていたのか?」
「…思ってました…」
「跡継ぎは、よろしく頼むと言っておいた」
「中学生にそんなことを?!」
「まあ、オレのように血が繋がっていなくとも構わないのだから、気にしなくて大丈夫だ」
 言いながらまた笑った。ちょっと焦点が合ってない感じで、肩の力の抜けた海馬の笑顔。
 城之内は我慢ができずに近付いて、唇を合わせた。ほんのり、ワインの香りがした。特に抵抗はされなかった。
ワインクーラーの中を覗くと、もう半分近く空けている。
「海馬は酔うと変わったりする?」
 グラスを持ったまま、首を傾げて考え込んだようだった。
その仕草をちょっとかわいいなぁと思った。
でも、どこか変じゃないかと警鐘が鳴っていた。海馬はこんな仕草をしたことがあっただろうか。酔っても顔色が変わらないというタイプもいるらしい……。
 考えながら視線をさまよわせていたら、海馬が背にしていたロフトへの階段にジャケットが掛けてあるのに気が付いた。服の扱いに煩い海馬にしては珍しいと、改めて見ると黒い丸首のTシャツは長袖ではなく九分袖で?
「もしかして、そのTシャツオレの?」
「……。そうかもしれない」
 ハイネックではない物を頼んだらしい。
1500円のコットンTシャツでも海馬が着ると、立派に見える。人間スタイルが良いと違うなあと、へこんでいる間に、ぱさりと音がした。海馬のTシャツがジャケットの上に重ねられている。肌色が目に飛び込んでくる。いつも胸に下げているロケットも外した。
 城之内は心の中で、やめてくれ!と叫んでいた。
「そんなに汗もかいていないから、明日学校に着ていけるだろう」
「じゃあ、お前はどうすんだよ」
「ジャケットだけでも。車だからな」
 城之内は着ている長袖シャツのボタンを急いで外すと、海馬の胸元に投げた。もう1枚半袖のTシャツを着ているので寒くはなかった。
「これ羽織っててくれ!」
 海馬はシャツを受け取ったが、動こうとしなかった。
「早く、着ろって。話があるんだろ?」
 のそりと立ち上がると、城之内の後ろに回りこんで座り、裸の胸をTシャツの背に付けそのまま体重を掛けた。
 背中に張り付かれ抱え込まれる形になった城之内は、軽くパニックに陥っていた。
 今海馬の状態は?
 1.酔っている(ので、暴走中)
 2.酒に強いので、普通(考えがわからない)
 3.酒に関しては ? (酒の力を借りて本音)
「ある。だが、言葉ではない。身体の話だ」
 その声に海馬の息や身体が、普段と変わらない熱さだと気付いた。むしろ城之内自身の心臓の音が煩かった。
「海馬は結構酒に強いのか?」
「多分、貴様よりは」
 城之内は、状態 2.の普通ということで、話を考えてみようとした。
 自分の士気を高めるためであれ、行こうとしていたのがラブホテルであるならば、身体についての相談というのは、つまりセックスに関する何かであるということだろう……うあー論述問題の解答みたいになってきた!この体勢で考えろというのは無理だ!!
「海馬、オレになんか怒ってんの」
 髪をいじったりする手を止めずに、そんなことはないと、静かな声で応えがあった。
「じゃあ、何?」
「困っている」
「オレに?」
「違う」
 気のせいか、言葉と一緒に、背中の温度が上がったような気がした。
『もうすぐお風呂が沸きます』
 2人の間に電子音とアナウンスが流れた。
「風呂?」
「ああ、忘れていた」
 言って少し身体を離すと、城之内の両脇に腕を差し込み立ち上がるときに一緒に持ち上げた。
「おわっ、何っ」
 途中から足に力を入れて、城之内も立ち上がった。
 脇から両肩に手が移り、海馬の額が首の後ろ辺りにトンと置かれたのがわかった。
気のせいではなく、最初に接触したときより熱くなっている。ということは、1.酔っている(ので、暴走中)だったのか?
「このまま、進んでくれ」
風呂に、だろうか。城之内は圧し掛かられたまま歩いた。

20150516