◆Lovesickness 01 #6


 城之内は連絡が取れたことに気を良くし、フードメニューをめくった。
5時を過ぎたばかりだが外は薄暗くなっていた。注文するために振り返ると、女生徒はもう残っていなかった。ほっとしつつハンバーグセットを頼んだ。
 海馬は8時前に到着した。駐車場から連絡があったので清算してから行くと告げると、珍しく何か食べると言ってきた。
 隣に腰掛けた海馬を見て、城之内は息を呑んだ。
 今まで持っていると思わなかった、ジーンズを履いている。靴は濃茶のローファーで頭には同じ色のスポーツキャップ。黒の丸首の長袖Tシャツに、グレーのハーフジャケット。どこにもベルトや金属の装飾が付いていない。帽子が海馬の髪の色をうまい具合に目立たなくしている。
 不覚にも城之内は見惚れてしまった。
 隣の視線を気にせずに海馬はメニューを見てオーダーを決めていた。注文を頼むと言っても上の空なので、腕を軽く掴んだ。
「あ、悪い。何?」
「これを頼んで欲しい」
クラブハウスサンドを指差した。それからアイスコーヒーをと付け加えた。
 城之内は指定通り注文した。海馬は一般の店に慣れていないのと目立つことを避け、外ではあまり自分から動かなかった。
 メニューから顔を上げ、窓ガラスに映る顔に気付くと薄くブルーの入った眼鏡を掛けた。
 一般人を目指したのだろう海馬の格好はなかなか良くできていたが、とどめの眼鏡のために一転して顔を隠すお忍びの芸能人のようになってしまった。それがツボに入ってしまい、城之内は肩を震わせ笑いを堪えた。
「あまり、笑うな。そんなに変か。車に貴様の分もあるんだが」
「オレの分?」
さすがに笑いが引っ込んだ。
「変装用」
「これからどこへ行く気なんだよ」
「モクバには、先に寝ていろと言ってある」
 そこへ食事が運ばれてきた。クラブハウスサンドは厚みがあるため半分の大きさにナイフで切った。一つ目のサンドウイッチを食べ終え海馬がゆっくりと話した。
「夕べはすまなかった。今日も連絡を入れなくて悪かった。久しぶりに2人きりで話したいと思ったんだが」
「まあ、来てくれたから……許す。それでどこに行くって」
 城之内は自分でも甘いなあと思った。昨日も、もしかしたら今日もろくに食べていなさそうな海馬が食事をしているのを見ていると、ほっとしてしまうのだから仕方がない。
「夜のアミューズメントパーク。見落としていたが日本独自の文化なのか知りたくなった。1人で行く所ではないしな」
表情を失くした城之内のことは気にせずに二つ目に手をつけた。コーヒーを飲み三つ目を食べようかというところで、やっと目線を合わせてきた。
「それって街道沿いとかにある、ネオンが派手な建物のこと?」
「そんな外観ではないように書いてあったが、まあ同じだ」
 城之内は顔を赤くしながら、小さな声で、ラブホ?海馬マジで…とつぶやき、肩を詰めると真剣に話した。
「ヤケになってるとかじゃないよな?
昨日のことは気になるけど、無理に答えようとかしなくていいんだぞ」
「主人を心配するとは、いつの間に忠犬になった」
「犬、言うな。オレが心配しちゃいけないのかよっ」
「……いや。変わったのはきっとオレだろう」
 低い声でそう言ってコーヒーを飲むと黙り込んだ。
 一度閉じてしまった口を開かせるのは難しかった。それでも昨日のような拒絶感はなかったため、海馬のやりたいようにさせようと城之内は椅子に座り直した。
 呆れながらも放っておいてくれているのをありがたく思いながら、海馬はゆっくりと食事を進めた。

 駐車場で城之内は国産車に乗って来たことに驚き、変装道具を見てがっくりと肩を落とした。
「何この長い髪のカツラ。そんでもって、チュニックにショール、サンダル?」
「モクバが文化祭で使った衣装だ」
「オレが言ってんのは、そういうことじゃなくて、これ女物だろ!」
 後部座席で衣装を見て嘆いている城之内のことは気にせずに車を発進させた。
「ああいう所には、普通男女が行くものだと思うが」
「そうですね。で、選択肢はなくて、オレが女物なんだ」
「身長と経験から判断した」
「体育祭と文化祭のこと言ってんの?文化祭は1回女装しただけだぞ。あれはクラスの男子全員だったのにお前逃げたよな。体育祭は何かいつも着せられたけど、参加したことあったっけ?」
「体育祭は途中からなら。文化祭もその年以外は顔を出したぞ。他は卒業アルバムとDVDで見た」
「DVD?」
「図書室に保管されている」
「そう、なんだ。体育祭…あれ、残ってんのか」
 城之内は遠い目をしてため息をついた。なぜだかいつも当日に捕まり、チアガールだのセーラー服だの着せられた。男相手ならいくらでも力で抵抗できるが女子に囲まれるとそれはできなかった。
「肩幅がなくて、腰が細いからな。いじりたくなるんだろう。ポニーテールは似合っていたぞ」
「オレより腰が細い奴に言われたくない!ホントはお前だって狙われてたんだぞ。演劇部の女子が化粧道具持って、海馬くんって残念がってた」
「自分の競技の時間だけ出れば構わないだろう」
「応援合戦ってのも体育祭の一部なの。遅刻じゃやばかったんだって。出ないと単位が危うかったんだよ」
 震えた声で、海馬がそうかと言った。
「笑いたいなら笑えばいいだろ!…何で、今日は…静かなんだ?」
 急に声のトーンを落とした城之内に、海馬は舌打ちをしたい気分になった。動物的な勘には参る。
「海馬、車、どっかに寄せて停めてくれ」
 パーキングのラインが引いてある辺りで車は停止した。城之内はドアを開け助手席に乗り込んだ。
「昨日のこと、話したいんだ?」
 海馬は不安定になるとテンションが下がる。
口調は変わらなくとも高らかに笑うことができないらしいと城之内は気付いていた。その状態での沈黙は、肯定と取っていいことにも。いつもと違うことをしてせめて並みの調子に戻したいのだろうと想像がついた。
――握ったハンドルが汗ばんできた。エンジンは切ったが、放せないままでいた。城之内は隣で嘲笑を浮かべているに違いないと、顔を上げられなかった――
「力抜け」
 両肩に置かれた手に反応し、横を見ると城之内は穏やかな表情をしていた。
やっとハンドルから手を放すことができシートに深く沈みこんだ。
「話してくれるなら、聞きたい」
 海馬は浅い呼吸を繰り返していた。ここでは嫌だと小さく声に出すと緩く横に首を振った。
「ホントに…ラブホに興味があるとかじゃないよな。オレんちは…ああそ、ダメなのか」
 誰とも顔を合わせたくない、それだけのことをなぜ言えないのか海馬にもわからなかった。
 城之内は首をひねりながら思い付いたことを訊いてみた。
「何度かしか行かなかったから正確な場所はわかんないけど、ここってあの建物に近くないか?「何も無い部屋」」
 2人で泊まったことのある、亡き剛三郎が所有していた家。ソファやベッドなど家具を皆捨ててしまったために、ただ広いだけの部屋だった。
「城之内」
「ん?」
 シートベルトのためにやや強引な体勢で城之内を引き寄せた。
「あってた?」
返事の代わりにぎゅっと力を込める。
「わかったから、技入ってるから!離せっ」
くぐもった声に腕を叩かれ、開放した。
ぜーぜーと荒い息を吐き涙目になりながらも城之内は笑った。邪気の無い笑顔だった。
「それじゃ、そこに行こう」
 シートに座り直す前に海馬の乱れた前髪を直した。頭を押さえ付けられた城之内のほうが色々と乱れているのに、海馬を優先してくれる。
――なぜ、城之内が馬鹿にした笑いをしていると思ったのか。そんなはずはないのに。
 認めたくないから、相手に理由を押し付けたかった。感じすぎて抱かれるのが怖い。それを伝えるのが恥ずかしい。まさかこんなことで悩むなど想像もしていなかった――

20160728