◆Lovesickness 01 #5


 15時。海馬は社内にいた。メールも読み、伝言も聞いているが返事はしていなかった。
 窓の外に目をやると、黒い雲が早いスピードで移動していた。いつ雨が降リ出すかわからない。朝は晴れていたのにと、思い出した。
 目覚めたら城之内が隣に寝ていた。珍しいことではなかったが、頭を抱え込まれるようにして手を繋いで眠っているのには驚いた。
 なんだと思い握った手を離そうとすると、簡単に外れた……力を入れていたのは、自分だということだ……寝付いたときの記憶がなかった。見ると2人ともズボンを脱ぎ棄てシャツだけで眠っていたようだった。
 ベッドから出ようとすると、足にうまく力が入らず立てなかった。寒気はないのに全身に軽く震えがあった。
 冷たい水で顔を洗い、鏡に目を遣ると青白い顔が見つめていた。崩れ落ちるようにスツールに腰を下ろした。蘇った記憶に腹立たしくなり、濡れた前髪をぐしゃりと握った。
夕食の前に吐いた。モクバを怒らせ、城之内に部屋まで運んでもらった。
 問題は吐いた原因だ……。
 本来なら幼子だけが持つ素朴な疑問形で、城之内は訊いてくるだろう。心配をしながら確信を衝いてこられると、答えるはめになるだろうと想像がついたが、今は話したくはなかった。
 服をかき集め、眠りを妨げないよう寝室を出た。着替えなど社長室にもある。車を回すよう指示をする。一刻も早く屋敷を離れたかった。


 窓から視線を戻し携帯を机に置いた。今朝から何度それを繰り返したかわからない。
 秘書に訊かなくとも予定は頭に入っている。会議が15時半、開発室での打ち合わせが17時から。
その後は特になかった。
 城之内やモクバと一緒に過ごそうと、今週の夜は空けていたのだ。それを逃げてどうする……。
もう観念するしかないと携帯をしまった。
 開発室に今日の打ち合わせは無しだと連絡を入れる。
 磯野を呼び出し、屋敷から車と私服を持ってくるよう頼んだ。
「オレは、わがままだろうか」
 ぽつりとつぶやいた。
「たまには歳相応でも、よろしいと思いますが」
 サングラスの下の表情は読み取れなかったが、社交辞令でないことは伝わってきた。
「少しは気を抜いていただかないと。眉間の皺は、気を付けないと癖になりますよ」
 額を押さえると確かに眉根を寄せていたのに驚いた。ずっと世話になっているのでなんでもお見通しらしい。
「そうだな。よろしく頼む」
 かしこまりましたと一礼し、出て行った。

 霞む目を押さえ、PCの電源を落とした。
 会議まで少し休むことにして椅子に深く座り直し目を閉じる。
 しんと静まった社長室で、城之内の言葉を思い出した。
「愛してる、瀬人」
 初めて聞いた。初めて見る慈愛に満ちた表情で、名を呼ばれるとは思わなかった。歓喜する心を否定したら、身体に反発されて吐いてしまった。無償で与えられる愛情というものにいつまでも慣れることができない。
 恋情に振り回されるなど不快で堪らない。昔ならば切り捨てていた感情だ。……けれど、手放したくはないのだ。浅はかなオレを知っても、見捨てたりしない。城之内の側は居心地が良すぎる。


 正反対の、一途で裏表のないところに魅かれた。駆け引きをしないでいい。嘘がないから一緒にいて楽だろうと思った。
 誤算だったのは城之内という鏡に映しだされる自分の醜さだ。琥珀の瞳に映るのは正しいものが相応しい。オレはイレギュラーだ。
……舵を取るのは向こうだと、気付いてはいないのだろうな。いつのまにかオレは後手に回っている。好きだと口にするだけで、せいいっぱいだ。
 オレが渡米する本当の理由を聞いたら、どんな顔をするだろうか。城之内へ伝えなければ、知らないままだ。

 連鎖するかのように思い出が蘇ってくる。
 3年に進級できることが決まった城之内が、しつこく口説いてくるのが面倒になり、部屋を訪ねたときに寝た。そうすれば、女のほうが良いと気付くだろうと思っていた。男と付き合ったことなどはなかったから、男同士のセックスはマスタベーションの延長だろうと軽く考えていたせいでもある。
 デートとか食事とか、そういうのなくて、いきなりでいいのか、と真っ赤になって焦っていたのが面白かった。好きにしろと答えた。いくら城之内にとって魅力的であっても、自分の身体には興味がなかった。
 最初に口付けるまでひどく時間がかかったくせに、服を脱がすのは早くて笑った。
そういちいち反応があって新鮮だった。今までの相手とは違っていた。キスもどちらが相手をいかせられるかの根競べのようで、ゲームに近かった。他人の部屋にいることを楽しいと感じたのは初めてだった。
 城之内を学校で伸していたのは、多分この頃のことだろう。こちらは嫌がってはいないというのに、外で手を出してきて何を考えているのかと腹立たしかった。
 幾度も部屋を行き来して、口淫され達してしまった後に、抱いていいかと訊かれあまり考えずにうなづいた。参っていたのだ。城之内が触れるところから湧き上がる感覚に。身体が火照るのが止まらない。その熱を逃してくれるのなら、何にでも縋りたい気分になっていた。
 押し込まれた熱塊が伝えてくるのは力だけだった。暴力にも似た感覚に身を任せるのは楽でよかった。
暴力からは心を引き離すことができるからだ。
 けれどいつからか意識を操ることはできなくなった。
 穿ちながらも始終睦言が紡がれる……好きだ、きれいだ、色っぽいなど、城之内のボキャブラリーは少ない。戯言をと無視できなくなったのは身体が反応を示し始めたからだ。自分が快楽に弱いとは知らなかった。
 身体から始めてしまったせいで、心情の変化に気付くのが遅くなった。好いてもいない相手を受け入れられる程、自分は器用ではなかった。
 既に好意を持っていたのだろうと。城之内の側にいることが楽だった理由はそれだったのではないかと。
 あのときからオレは、作り変えられてしまったのだろう。

+  +  +  +  +

 大学近くのファミレスを指定したのは城之内だったが、入ってからひどく後悔していた。駐車場が広いため待ち合わせに使ったが、店内は初めてだった。
 学部の何人かを見かけた。ほぼ女子生徒だった。無視する訳にもいかず目が合うと軽く会釈した。この状況で海馬が店に来たらと、想像するのが恐ろしくなった。
 駐車場に近い窓際のカウンター席に腰掛けた。
――失敗したー。学校から一番近い店だもんな。先に連絡くれるといいんだけど。
あ、すっぽかされる可能性もありか?!約束、一方的にしただけだ!モクバになんて言おう。モクバにも連絡しておくか?――
 いっぺんに考え煮詰まっていたところへ、注文したコーヒーが運ばれてきた。一緒に苺パフェも。今日のように頭を使うと、甘い物が食べたくなる。苺とバニラミックスのソフトクリームは甘すぎずに冷たくて、食べるとほっとした。
 小さな笑い声と、パフェ、食べた、という囁きが聞こえたような気がして、城之内はおそるおそる振り返った。
学校の女子……と思しき席の会話が途切れているのがわかった。
 ぺこりと頭を下げ、窓ガラスに向き直る。背後から抑えた歓声とかわいい(?)などの声が上がった。
――新入生何人いるんだろう?!この席目立つよな。今更席を移るのも変だし……あーもう、悩むのはやめた!パフェが溶けないうちに食べてやる――
 ひとまず目の前の冷菓に集中し城之内は頭を切り替えた。
 約束の返事を貰おうと、電話を掛ける順番を決めた。まずは海馬、次にモクバ。周囲のことは気にしないことにした。
 海馬に電話を掛けると留守電だった。仕方なく窓際の席にいることと、来られないなら連絡をくれと残した。
モクバも留守電だった。海馬と会って話したいと思っているけど、連絡を待っている状態だ、昨日はごめん、と伝言を残すことしかできなかった。
 もう城之内にできるのは、兄弟から拒否されていないことを祈るぐらいだった。

+  +  +  +  +

 久しぶりに右ハンドルの車を運転した。昨日の車のように複雑なナビは付けていない。城之内と合流できるのは、何時になるだろうかと海馬は思った。
 昨日を思い出し、先にモクバに連絡した。
『兄サマ』
「モクバ、夕べはすまなかった」
『城之内と話して。兄サマと連絡取れないって伝言入ってた』
「これから会う。遅くなるかもしれないから、先に寝ていてくれ」
『わかった』
 電話からモクバの感情は読み取れなかった。
 今度は城之内の携帯を鳴らした。
『今、どの辺?』
待っていてくれたのかと笑みがこぼれた。
「まだ半分くらいだ」
『道路、混んでんだな。どこか電車で移動しようか?』
「いや、そのまま待っていてくれ。ああ、夕食は先に食べていろ」
『わかった。気をつけろよ』
普通に話ができて、ほっとしていた。
 モクバの言う「城之内と話して」には程遠いだろうが。

20160728