◆Lovesickness 01 #4


 早朝の駅は空いていて構内の飲食店も同様だった。
モーニングセットを注文し窓際の席に座ると、城之内はホットコーヒから立ち昇る湯気を見ながら物思いに耽った。
 夕べ海馬は目を覚まさなかった。
 ベッドに下ろし着替えさせようとしたが眠りながらも抵抗された。仕方なくスラックスを脱がし、シャツの襟元のボタンを外して緩めた。
いったん海馬から離れようとしたが、強い手が服を掴んで離さないために、海馬と同様に下だけを脱いでベッドに入ることになってしまった。
隣に横たわると、服から手を離し、離さないとでもいうかのように片手を握られた。
 こんな海馬の姿を見るのは初めてだった。すべて無意識の行動だというのも気になった。
覗き込むと顔色は少し戻ったようで、気にしているうちにいつの間にか眠りに落ちてしまったらしい。
 深くは眠れず早い時間に目が覚めた。それなのに隣に海馬の姿がなかった。慌てて問い合わせると海馬はもう出掛けた後で、城之内を起こす時間を指定していったという。
――どうにか海馬と連絡を取ろうとだけ決めて、急いで出てきちゃったな。モクバと顔を会わせたくなかったのもあるけど、海馬も気まずかった、なんて……ないよな――

 濡れナプキンで手を拭いていると、背中をポンと叩かれた。首の痛みに響きすぐには振り向けないでいた。
「おはよう。ごめん、どこか痛めてた?」
「お…とぎ?」
 隣に座った声は聞き慣れた御伽のものだった。
「声を掛ければよかったな。軽く叩いたつもりだったんだけど。悪かった、首かな?」
やっと横を向くと、そう、と答えた。城之内自身それどころではなくて忘れていた。
「海馬くんに?」
あいかわらず、鋭い突っ込みが飛んでくる。
「まあそんなとこ」
 御伽は城之内の首の後ろに手を当てると、熱を持ってると言った。少し考えた後、カバンの中からTVでCMしているゲル状の筋肉痛薬を出してきた。
「ドラえもんのポケットみたいだなー」
 城之内がつぶやくと、あるだけ良いだろと笑いながら、首の後ろに薬を塗った。
 城之内にとって御伽の私生活は謎が多くて、あまり立ち入らないようにしていた。
「それあげるから、二ー三日は塗ってたほうが治ると思う」
 紙ナプキンで指先を拭いながら話す御伽の言葉に、ありがとうと返しながら、城之内は疑問を投げ掛けた。
「御伽の学校って、同じ駅だっけ?」
「もう少し先の駅。ちょっと距離はあるけど、ここから歩いても行けるかな。うちの学校の駅にはこのベーカリーショップがなくて。今日は早く出られたから寄ってみたんだ」
 御伽が言うなら、おいしい店なんだろうと思い、口を付けていなかったサンドウイッチをほおばった。確かにジューシーでおいしかった。

「それにしても、ツンデレ王子様は元気だね」
 御伽の言葉に、きょとんとした表情のまま城之内はコーヒーを飲んでいた。
「そういえば、パソコンゲームとかあまりやらないんだっけ」
 肩を寄せると小さな声で話し出した。
「王子様はわかると思うけど」
 御伽の指が首をつんと指した。
「ツンデレっていうのは、ゲーム用語かな。恋愛シミュレーションの攻略対象のひとつ。普段ツンと澄ましている頭が良くてきれいで完璧な子が、甘えたり、わがまま言ったり、別人みたいに態度が変わることをいうんだ。もちろん好きな相手の前限定だけど」
 城之内は顔が熱くなってきたのがわかった。
御伽が話しているのが、海馬のことだとわかったからだ。
「最近は普通に使われてる言葉かと思ったけど、そうでもなかったかな。業界に浸かってるって、肝に銘じて置くよ」
 身体を離して苦笑いをする御伽に、尋ねようか躊躇したが、思いきって口を開いた。
「なあ御伽、それってさ、急に具合が悪くなったりもするもん?」
 濡れナプキンの封を切り、指先を拭いていた手が止まる。
硬い表情で城之内の顔をじっと見た。
「なかなか、先取りしてるね、きみ達は。ごめんまじめに話すから」
アイスティーを一口含んでから、ゆっくりと話し出した。
「そういうこともあると思う。完璧を装えるってことは、常に隙ができないように力を注いでいるということだから。自分を守るためのバリアが普通の人より強いってこと。そこには隠したいものが含まれている場合もある。あくまで、これはゲームの設定だけど」
「そっかー。詳しいんだな御伽は。それって治せるのかな?」
「え?」
「あ、何言いってんだろ。ごめん、変なこと言って。忘れて」
 さすがに海馬の状態を話すのは憚られた。
城之内にも何が起こっているのか、わからないというのに。
 それから御伽と学校について話した。
皆の進路を把握しているつもりでも、学部までは聞いていなかったりと城之内らしい抜け方だった。御伽は建築学科だった。
「理数系、強そうだもんなー。わからなくなったら、聞きに行ってもいい?」
「いつでもどうぞ。……海馬くん、夏にはアメリカか」
――真顔で言葉にされると、ずきっと心が痛む。優しいのか冷たいのか、距離の取り方が難しい奴だ。……その二面性があるところが、もてる秘訣なんだろうか?――
 後から来た御伽が先に席を立った。
「まだ電車に乗るから。それじゃ」
さわやかに微笑むと店を出て行った。

 コーヒーを口にすると、城之内は海馬にメールを送った。
『今日16時には空くから、同じファミレスで待ってる。』
それから申し訳ないと思いつつ、磯野さんに電話を掛けた。
『城之内様?』
「仕事中にすみません。海馬に伝言をお願いしたいんです。4時に同じファミレスで、これで通じると思います」
『瀬人様はまだ仕事のあるお時間ですが』
そう言って、心配してくれる。
「大丈夫です。よろしくお願いします」
磯野さんは海馬との関係を知っていてくれる数少ないSPの一人だ。
 電話を切ると前のガラスに向かって伸びをした。見渡すと店の中も人が増えている。これ以上混雑する前に出ようと、リュックを持ち駅を後にした。

+  +  +  +  +

 学校には早すぎる時間に着いた。
 洗面所で歯を磨き顔を洗った。普通の光景かと思ったが、こちらを気にしてくる生徒が何人かいた。やはり髪の色が目立つのかと気になり、外に出ると静香にメールをした。
『学校に提出するから、小さい頃の写真があったら欲しい。母さんと写っているもの。後で返すから探しておいて欲しい。』
 本当は2人を訪ねたついでに探すつもりだったが、海馬とのことがあるので時間が割けなくなってしまった。
 城之内は昨日と同じテラス席で提出書類を書き終え、時間をつぶしていたが、気が緩んだのか急に眠気が襲い机に顔が付きそうになった。
ざっ、ざっ、と、力強く早い足音が近付いて来たため顔を上げようとしたら、首筋に痛みが走りすぐには動かせなかった。
 本田は空いている席に腰掛けながら、たまたま触れたリュックが冷たいのに気付いた。
「随分早くから来てたのかって、起きてるか城之内」
 城之内は痛みを抑えながら、そうと答えるとつい愚痴を漏らした。
「今頃眠くなってきたー」
「いいよな相手のいる奴は!自慢か!?」
「声でかいよ。昨日はそれどころじゃなくってさ」
「なんだ、王子とケンカでもしたのか」
 指摘され城之内は言葉に詰まった。
「王子やめろって。ケンカ…にもなっていないというか。今、音信不通」
「あれ、さっきメール来たぞ」
 慌てて携帯を開いてみるが、返信はなかった。
「えーと『小学校まで取るとは、熱心だな。凡骨のこともよろしく頼む。』…保護者みたいなメールだな」
 それを聞いて、ますます落ち込み度が上がった。
「お前らがメールのやり取りをしてるとは思ってなくて驚いたよ」
「そうか?あいつまめだからな。文章はそっけないけど、返信は必ず来るし。心配されてるぐらいだから大丈夫だろ」
 昨日も同じ科白を聞いたな、と思った。2人は案外似ているのかもしれない。
 そろそろ教室に行くぞと本田に促されながら、のろのろと立ち上がった。
「呼び方、王子ならばれないと思うけどなー」
 本田は本気でそう考えているようだった。
 王子でも何でも好きにしてくれと、言い返す気力も残っていなかった。

20150516