◆海馬瀬人の思い通りにならない案件


 真新しい紙で指を切った。
傷は小さく深いが、血を絞り出し、皮膚同士をぴたりと止めてしまうと案外早く治ってしまう。
手近にセロファンテープしか見当たらなかったので、それで止めてしまった。
すぐに仕事を再開してしまったため、そのこと自体頭の片隅にも残っていなかった。

 午前中は会社にいたが、珍しく当日に担任に呼び出され学校へ行くことになった。
秘書達はすぐに制服を用意したので、問題なく登校した。
 用事はあっけなく終わり、肩透かしを食らった気分だった。
 担任というより、学校長の頼みごとだった。形として学校内で話したいという事情らしい。
 別段体育館の工事に金を出すのは構わない。
寄付、金壱億円等と書かれるくらいなら、KC寄進のほうが面倒でないと伝えたら目を丸くしていたが。
 こちらも出席日数を金で買っているようなものなので、文句を言う気はない。
常々かび臭い体育館で行われる集会に顔を出したくないと思っていた。こちら主体で工事を行えば、卒業する前には新しくなっているだろう。
 特に興味のなかった高校のはずだった。
卒業という言葉が自然に浮かぶことに、笑った。


 秋にしては暖かい日だった。
 校内の銀杏はまだ黄色になりきっていなかったが、目の前を多色紅葉が通り過ぎた。
「海馬くん!」
 大きな目を開けて近寄ってくる。午後は体育らしい。
「久しぶり、元気だった」
 いつも同じ言葉をかけてくる。 
 あの男がいなくなって、昔程苦手ではなくなった。
「あれ、ここどうしたの」
 気付くと左手を取られていた。
何だと目を向ければ今朝のテープ跡だった。視界が違うせいか目聡い。
「もしかして、ケガ?」
「ああ、紙で切った」
 遊戯には取り繕うほうが面倒なことになると経験で知っていた。
ただし、保護者のように保健室に連れて行きたがる癖は阻止したいと思っていた。
「もう出血もしていないので大丈夫だ」
でもと言い募る遊戯を離そうとしていたら、他のお友達も現れてしまった。
「珍しー、海馬がいる」
「あ、ホントだ」
 本田と御伽の声がする。同意を得ようとばかりに、左手を上げられてしまった。
 オレは、社に戻りたいというのに。
「セロテープで止めた?けっこうワイルド海馬くん」
 くつくつと笑う声がする。
 手を持ち上げているのが遊戯でなければ、無理にでも引きはがすのだが。それをすると、この小さい身体に被害を与えてしまいそうだ。
本人には言えないが、モクバより少し大きい程度の遊戯に手をあげるのは、遠慮したい。
「遊戯と本田、今日当番じゃないか?ボール出しとかないと文句言われっぜ」
 意外な援軍にこちらが驚いた。
 2人は顔を見合わせると慌てて駆けて行った。
遊戯はこちらを気にしつつも本田に引っ張られていく。
「久しぶり、海馬くんっ!」
「そうだな遊戯…とはこたえていない」
 なぜか遊戯の口調を真似する城之内に、げんなりとした気分になった。
 後ろの御伽は相変わらず読めない表情だ。
「学校で会うの久しぶりだから言ってみたかったんだよ!体育、出ていかないの」
 城之内が後ろからサブバッグを取り出した。見覚えのあるシューズが中から現れる。
「海馬と体育に出てみたいんだって、前に言ったら用意してくれたんだ。
午後から来るって連絡貰ったから。プールの更衣室近いからそこで着替えたら?」
 誰に言って誰が連絡をよこしたのか、オレのプライバシーはどうなっているんだと思ったが、頭を過る人物は1人で、凡骨に怒っても仕方がないという結論が導き出される。
 バッグを受け取ると良い笑顔×2で、待ってると返された。


 秋晴れの空の下、行われるのはサッカー。
ミニゲームを数度経て、チーム分けはできているらしい。
 2クラス合同なので4チーム(多少変動はある)、そこにオレをどう組み込むか教師は悩んでいると本田から聞かされた。身長の近い者で柔軟体操をとなると大抵組まされる。
 ……どこでも構わないと、背中を押されながらため息を吐き出した。
 着替えながら確認したところ午後の予定がすべて他の日に振り分けられていた。
 押される力が弱まったので、不思議に思い顔を上げると何故かこちらに視線が集まっている。
前屈・開脚で地面にぺたりと付いたせいか。城之内が声を出さずに『やりすぎ』と訴えている。
 オレから見ると、男子生徒は身体が硬い者が多い。
運動部に所属していながら、あの硬さではケガをしないのだろうかと不思議に思えてくる。
 何も考えていないとセーブをするのは難しい。少しは今行っていることに注意を向けるかと心を改めた。
集合するらしく、立ち上がり歩き始めた。
 そして、今は何故か……本田が土をはらってくれている。
「気にしないんだな」
「汚すための服だからな。…手間をかける」
髪の上についていたらしい枯れ葉を取った本田が苦笑を浮かべる。
「服ならいいけど身体はひとつだよ、海馬くん!」
 遊戯が現れた。途端に賑やかになる。城之内も寄って来て、獏良、御伽も加わる。
白いタオルで凡骨が顔に付いた土をさっと拭った。
獏良が抱き付いてくるので、動けないオレを間にしてサンキュー本田と会話が成り立っている。
 当然この集団は悪目立ちをするはずなのだが、教師は無視と決め込んでいるらしい。
正しい対処だ。他のお節介な教師陣も見習って欲しい。

 組み分けは一先ず済んだらしい。30分ハーフのゲームを行う。
オレはお友達とは別のチームになった。
 自分のクラスはともかく、隣のクラスの者の名前はわからないが特に問題はないようだ。
背の高い者が少なかったせいで、キーパーになった。
聞けば半分以上はサッカー部員だそうで、教師なりのハンデがオレらしい。
『海馬くんの所までボールが来ないようにするから!!』
 チームはなぜか一致団結しており、初めて……かもしれない、円陣を組みBチームファイト!と一緒に叫んだ。
 専用のスパイクを履いている訳ではないが、キーパーには一応と装備を渡された。
肘あて膝あて、キーパグローブを嵌めてゴールラインに立つ。
 近くにいた者が、ルールわかる?と遠慮がちに話しかけてくる。
 余り詳しくはない。キーパーに関して言えば、ペナルティエリア内までは手を使って構わないというぐらいかとこたえた。
 彼はゴールエリア近くで混戦になったら、できれば飛び出して空中でボールを奪って欲しいという。その時は自分がゴールに入るからと。
DFとして海馬くんを守るからと言葉を残して、少し手前にあがっていった。

 試合はこちらが押していた。
前半はほとんどすることがなかったが、後半開始直後に相手チームが攻めてきた。
 高いパスが通ってゴール近く、ヘディングで押し込もうとした選手とボールの奪い合いになった。
DFがゴール内に入ったのを確認し、最初に指示されたとおり飛び出して空中でボールを掴んだ。
 同じチームの内2人からボールを寄越せと手が上がった。
マークされているほうが相手ゴールには近いが、ラインぎりぎりを走っている。
もう1人はややセンター寄り。確実なほうを選んでセンターにボールを投げた。
 その後もう1度、相手チームの攻撃は直接オレを狙ってきた。
戦法を変えドリブルでパスを回し、低いシュートを蹴り込んできた。
DFが邪魔で見えない。シュートしようとした男の前に立って、回転するボールを無理やり身体で抑え込んだ。
 結果、Bチームは試合に勝った。
後半から相手チームのパスが通りやすくなったのは、こちらのMFにチェンジがあったためらしい。

 授業終了が近くなり教師の前に集合し始めた頃、試合前に会話したDFが海馬くん凄いと話しかけてきた。
グローブを外しながら聞いていると、空中で一瞬の判断でボールを繋いだり、混戦しているところへ飛び出し身体で止めるということは、GKにとって難しい判断になるらしい。
 それから守れなくてごめんと言った。
 そんなことはないと返そうとしたところでいつもの面々が集まってきてしまい、彼の姿は見えなくなった。
「大活躍だったって?」
 へらりとした笑顔で城之内が寄ってくる。
「海馬くんはハンデじゃなくて、最後の砦になってたよ。おかげで、もー、凄い点差」
 獏良は対戦したAチームにいたらしい。
 さっきのDFの名前を聞いた。隣のクラスでサッカー部。レギュラーではないみたいというこたえが返ってきた。
「ほっそいからグローブとか付けてると余計に案山子みたいで、強いとは思われないよな。みんな凶暴な海馬くんを知らないから」
 城之内が要らない説明をしている間、外した物をどんどん奴の手の上にのせていった。
最後に右のエルボープロテクターを取る際に、今朝止めたテープが剥がれた。
「あ」
傷が開いた。
 ん、と言って城之内が指に吸い付いた。
離そうとしても吸い上げる力が強くて外せない。
 お友達のおかげで周囲にまでは気付かれていない。
しかしオレにでも、この辺りの温度が下がったことがわかる。
「もう止まった」
 ほらと指を差し出してくる。
 城之内の強引なところはオレにも引けを取らないので、仕方がないと諦めて……やるものか!
サッカーに出たのは誰のせいだ。
 少し離れた場所に置き去りにされていたボールを右手で掴むと、凡骨の腹をめがけて投げ込んだ。
見事にど真ん中に入ったらしく、受け身も取らないまま後ろに倒れていった。
抱えていた装具が宙を舞う。
 教師や他の生徒には何が起こったかわからなかったらしいが、例のDFは見ていたようだ。
 それから校内で会う度に、たまにはサッカーをしない?と笑顔で話しかけられた。
KCの海馬瀬人という肩書よりも、サッカーの才能について語る辺りが他の人間と違う。
 これ以上色々絡んでこないで欲しい。
 オレは純粋な心の持ち主には強く出られないのだ。

「もてもてだねー海馬」
 やけに近くから声が聞こえるが、きっと無理に背伸びをしているのだろう。
「誰のせいだ」
 軽く背後を肘でつつくと、呻いて沈んでいった。
「まだ痣になってんだぞ」
 傷の治りの早い城之内のことだ。これはブラフだろう。
「そうか。今日は屋敷に戻るから一緒にどうかと思ったが、やめたほうがいいだろうな」
「オレも今日はバイトないんだ!このぐらい大丈夫」
 素早く立ち上がり、満面の笑みを浮かべる。
今にも首に抱きついて来そうな気配だ。
「車が来るまで、待て」
車が着けられる駐車場の方へ歩き出した。
 待てって、待つけど、俺犬じゃないんだけど。
 城之内が呟く間に他のお友達……友人達が反対方向に帰って行った。
またねと手を振っている。

 車の中で城之内の身体を確かめた。思ったとおり痣はほとんど残っていない。
「大胆で、うれしいけど」
 勘違いのバカが。こんなところで盛るものか。
「貴様の頑丈なところは褒めてやる。撫でるのと、撫でられるのとどちらがいいか選べ」
 場所はもちろん頭だと続けたところ、膝の上に倒された。
「海馬はオレといるの恥ずかしいの?」
「恥ずべきことはない。だが学校では接触を少なくして欲しいとは思う」
 髪を撫でていた手が止まる。
「接触って、触るなってこと?」
「…まあ、そうだ。他の友達と同じ距離でいてくれ」
 城之内は無言のままだった。
もしや泣くのかと思ったが予想もしない言葉が降ってきた。
「じゃあ、何かサイン決めよう!ハンカチを振ったら屋上とか」
 論点がずれている。仕方がない。本音を言うしかない。
「オレがいると浮かれているのは、どうにかならないのか」
「へ。……どうにかしないとまずいの?」
「オレにばかり集中しているせいで…無意識でなければ、人の指を舐めたりしないだろう」
 舐めたどころか、指の血を吸い取った。
「この腹のって、それに怒ったから?!」
「当たり前だ!お友達連中でも引いていたぞ」
 今まで気付いていなかったのかと思うと、情けなくなってきた。
説明が必要な程だったとは。
「海馬は恥ずかしかったのか」
 声のトーンが低いのが気になったが、ああとこたえた。
「…なんとかする」
 どうも城之内を落ち込ませたようだ。
「顔も、触っていい?」
 うなずくと不安げな瞳とかち合った。
「何か理由があるなら聞くが」
「オレって、好きな子は守りたいタイプだったみたい」
 はは、と笑いながら頬を撫でていく。
 男はそんなものではないだろうか。
ああ、守られる対象としては……オレは不適格だな。
「いいのか?」
 耳や髪を撫でていく指が優しい。
選択肢を与えるようなことを言いながら、手放す気持ちはなかった。
「いいんだ。海馬が好きな子だから。気を付ける」
 その不器用な科白に顔が熱くなるのを感じた。
 海馬?という声が聞こえたが、恥ずかしくなって目を閉じた。
 
 部屋に入ったら、オレも同じタイプだと告白してすっきりしよう。


* * * * * * 友人達による蛇足的考察 * * * * * *

「海馬くんて、面白いよねー」
 2人が見えなくなってから獏良が話し出した。
何がと話の見えない遊戯の後に、御伽がそうだねと返す。
本田はあれでうまくいってるからいいんじゃねと笑う。
 遊戯はこの前のサッカーの話と言われて、さすがに理解した。
「城之内くんは、アニキだから仕方がないんだって言ってた」
 大切な相手を守るのは、無意識。
「あーだからか。2人ともアニキだから暑苦しいのか」
 主導権争いっぽいところもあるかも……と誰かが言った。
「それって、言ってあげたほうがいいのかな?」
 遊戯の言葉に3人はそれぞれ考えたが、ほおっておいて構わないんじゃないかということになった。
 問題が起こったら一緒に考えるぐらいはしてやる、と家では弟の本田が笑った。

 努力する城之内に気付くのは、また別の話。

20131115/1222
付き合いだした2人。