◆ドームシアター


 招待券を貰ったから行こうと持ちかけられた。予定が立たないと言っても耳に入らないらしい。一方的に候補日を幾つか挙げられ、連絡を待ってると明るい声で通話は切られてしまった。
 城之内はたまにこんなことをしてくる。計算しているわけではないからたちが悪いと海馬は眉間に皺を寄せた。
 その施設の名前には聞き覚えがあった。時流に逆らうかのように、現地で当日の朝に指定回を申し込む予約方式をとっていることと、シアターの内容に興味を持ったことを思い出した。
 社会人になってからというものすれ違うことが多くなった。そうならないように会うのは屋敷が良いだろうと伝えたことがある。それならばもっぱら約束を破りがちな海馬でも連絡がつけられる。 ところが城之内はたまには昼間に外で会おう、デートをしようと照れながら笑うのだ。それに逆らえないでいることを海馬は認めたくなかった。
 都合がつくと伝えたら早朝に出掛けて約束に間に合わないかもしれない自分を待つのだろうと想像に難くない。デスクに肩肘を付きながらスケジュールをチェックする頃には柔らかな表情に変わっていた。

 シアターの入る建物は臨海地区の体験型教育展示施設群のひとつだった。公園の中に意匠を凝らした建物が点在している。宇宙をテーマにした施設の目玉は吹き抜けに浮かぶ地球儀だった。球体の表面にディスプレイが敷き詰められていて様々な映像を映し出すことができる。
 海馬がなんとか都合をつけられた日は、小雨混じりの春まだ遠い祝日だった。午後からしか空けられなかった。
 城之内はどう時間をつぶしたのだろうと考えたところで、吹き抜けのエントランスに佇む姿が目に入った。ダウンパーカーにジーンズで手袋もしていない。
声を掛けるまで気付かなかった。こちらを見て驚きの表情で固まっているのがおかしかった。
人混みに紛れ込めるように、髪色を隠す帽子とダークカラーの眼鏡を掛けてきたのは正解だったらしい。
ドームシアターは科学教育施設の中にある。親子連れで賑わうここで目立つことは避けたかった。
 そういった諸々にようやく合点がいったらしい城之内は、照れ隠しに金の髪に指を挿し入れながら、疲れも見せずに満面の笑みを浮かべた。
 混雑した場が和み視線が留まるのが海馬にはわかる。相変わらず邪気のない笑みは人を惹きつける。 城之内が目立つほうがこちらに注意が向かなくて良いのかもしれない、そう思っていると、肩を掴まれてエレベーターへと向かう道すがら愚痴られた。
「オレも変装してみたかった」
 Pコートにコーデュロイのパンツは世間一般の海馬瀬人のイメージからは離れているかもしれないが。
「変装など却って目立つのではないか」
城之内は落ち着いた物腰を身につけたほうが変装をするより効果があるだろうと言ったら、思案顔をした後に
「わかった。それじゃぁかい……、瀬人は若者らしくはつらつとした動きを頼む」
そう言って笑いを噛み殺した。なんだそれはと尋ねてみれば、二人とも落ち着いてたら悪目立ちするだろと減らず口で返された。


 シアターの上映時間迄には余裕があった。
 最上階に近いその場所へと移動途中のエスカレーターで、城之内は海馬に昼食はとったのかと尋ねた。
まだだと答えが帰ってきた頃に、カフェテリアの側を通過した。
「調べたらここ飲食店一軒しかないっていうから。ほらまだ混んでる。その代わり持ち込みOKでカフェスペースは広いんだって」
背後に見えるカフェテリアからは良い香りが漂っていたが、列ができていた。
 その階をいくつか過ぎてテーブルが並ぶ開た場所へと足を運ぶ。
エントランスの上にあたるらしい場所で、大きなガラス窓からは周囲の公園の景色が一望できた。ランチタイムを過ぎていたからか、休憩にと座る人々が見受けられた。
 城之内は席に着くよう促すと、トートバッグから紙袋を取り出した。中身は城之内のお手製サンドウィッチだった。
次いでバッグから取り出された水筒から温かい紅茶が用意されるにいたって、海馬はどんな表情をしたら良いのかわからなくなった。いつからこんな細やかなことをするようになったのか。
「何を難しい顔してんの。ボトルは普段会社に置いてあるんだけど、間違えて持ってきちゃったからあっただけ。あ、でも中身は奮発した。今日はローストビーフ」
 疑問がそんなにあふれていただろうかと思いながら、口をつける。バケットサンドは肉と野菜のバランスが絶妙で美味だった。
「おいしい」
「良かった」
 海馬は色々と考えるのはやめにして食事を楽しむことにした。それが提供者への礼だろう。
「ハンバーガーにナイフとフォークって言われた頃もあったなぁ」
 海馬がサンドウィッチを頬張っている姿を見ながらのんびりと城之内が言った。
 変化があったのはお互い共にらしいと気付かされて心の中で苦笑した。
 ローテーブルにソファーの席に並んで座っていた。外は薄曇りだったが、緑の中を点在する建物が見えていた。普段見る街の屋根はなく、くつろいだ気分になった。

「実は待ってる間に一回体験してみました」
 悪戯を見つけられた子供のような顔で城之内が話し出した。チケットは数枚貰ったのだと言う。
「どうだった?」
 海馬の問いに複雑な目の色をした城之内がいた。周囲に人がいないのを確かめると口を開いた。
「世界のカイバサマ連れて来ちゃって良かったかなぁって悩んでたんだけど、全然違ってて安心した」
「そんなことを気にしていたのか?プラネタリウムだろう?」
 ソリッドヴィジョンと比べているのだろうとわかったが、投影方式がまったく違っている。
「うん。でもそっちの技術でやったらもっと凄いのができちゃうのかなって。きっと星雲の中に入ったりできるよな。ここのはそりゃぁ星が降ってくるみたいにきれいだけど」
「城之内は星に触れてみたいのか?」
「小さい頃天の川掴んだりしてみなかった?オレだけかな」
 海馬の技術を使い遊園地等で様々な体験ができるようになっていたが、星のプログラムはなかった。
「手のひらの中で星が光ったら、オレはうれしいな」
 ソリッドヴィジョンシステムは主にライド、搭乗型で使われていた。デュエルディスクのように装着するタイプはまだ少なかった。
「星を掴んで、手の中で生まれるところから消えるところまでを見られたら楽しいか?」
「スーパーノヴァとか見られんの?!見たい!」
 海馬はふむと考えた。一部生化学の分野では使われ始めていたが、この方面からプレゼンを受けたことはなかった。膨大なデータ量を扱うのにKCは慣れている。たまには自社開発も行なってみようかという気になった。
 城之内は海馬が取り合ってくれたことがただうれしかった。


 入場は開演の15分前からとなっていたが、詳しく聞くと海馬は仕事で館長など役職者にあったことがあるとわかり、目立たぬよう5分程前に着席した。混雑時は偉い人間も現場を見に来ているかもしれないと、城之内は気が気ではなくなってしまった。
「落ち着け。今声を掛けられていないなら大丈夫だ」
「……そうだな」
 城之内は席に深く座り直し大きく息を吐いた。アナウンスの案内に従いリクライニングのレバーを倒すと身体が倒され視界がぐんと開けた。シートがゆったりと作られていて隣の席も気にならなくなる。
 照明が落ちると海馬は帽子と眼鏡を外し、プログラムの解説が始まるのを待った。
 進行のため館内の照明は最小限に落とされていた。けれど不思議とあたたかみを感じる闇だった。観客の期待が高まっているせいだろうか。
 城之内の肘を軽く叩くと腕が差し出された。手を握るとぎゅっと力強く返される。
 海馬は余計なことに気を取られないで、星の世界に浸りたくなった。それが手のひらを通じて城之内へ届けばいいのにとも思った。
 落ち着いた音楽が流れて宇宙全体が示される。様々な銀河を経て太陽系の成り立ちが紹介された。球体が現れ地球の形になる。地球上に人類が生まれてからほんの瞬きにも満たない時間しか経っていない。現人類の活動足跡は光が示してくれる。太陽が当たっていない地域は都市の光で輝いている。光の輪で繋がった地図、その中でも一際明るい縦長の島は日本の形をしていた。一瞬の暗転の後満点の星空に包まれる。春の星座は天の川に埋もれるように控えめに輝いていた。

「……少し寝ていただろう」
「…っ、わかった?」
 とはいえ海馬は本気で怒っているわけではなかった。手の力が弱まったのは、ほんの数分だった。早朝から準備をしてくれたことはわかっている。
「瀬人の手、気持ち良かったんで、つい」
 シアターから下りのエスカレーターへと移動していた。大人が並んで5-6人は乗れそうなエスカレータに人影はまばらだった。隣接する大階段の向こうのガラス窓の外はだいぶ日が落ちている。
 閉館までは時間があったが常設展を見学しようという話しにはならなかった。
 海馬は城之内はこのあとどうしようと考えているのだろうと、のんびりと笑う横顔を伺った。 どちらが話しを振ることが多いだろうか。普段は気にもとめていなかったことに頭を悩ませていたせいか、話し掛けられないでいた。
 外に出ると雨は止んでいた。
「瀬人、明日は早い?」
 まだ会場近くだったためか名前で尋ねられる。それもやりにくい一因かもしれない。
「いや、それほどでもない」
「んじゃ、どっかで飯食ってこう。この辺と家の近くとどっちがいい?……そうだ、ここまで何で来た?」
 今更な質問に海馬は喉奥でくくっと笑った。普段の皮肉屋な一面が表に出るが、まだ目立たぬように気を張っていたので腰に手をあてたりはしないよう気をつけた
「車で送ってもらったから、帰りはどちらでもいいぞ」
 城之内は海馬の無理をした仕草に笑いたくなるのを堪えていた。
ついで海馬の全身へ目を走らせると改めていつもと印象が違うと感じた。なんとなく地味なのだ。勉強熱心な理系の大学生がおしゃれをしてきたといえば良いだろうか。
「ここに来る人はマイカーかバスが多いみたいだけど、せっかく変装してきてくれたから、ちょっと離れてるけど電車に乗って街に出よう」
手を取って駅へと足を向けた。
「城之内、手は…」
「もう暗いし誰もみてないって。あったかいな瀬人の手」
「名前……」
「なかなか新鮮で、癖になりそう」
 控えめに照れる海馬というのが珍しくて調子にのった城之内だったが、家に近付いたら普段に戻すよと言う。
「克也、今日は楽しかった。別にそのまま呼んでいてもいいぞ」
 海馬の反撃に一瞬目を瞠ったが、予想の範囲内だったので城之内は声を出さずに笑顔を見せる。
 それに笑うなという声が小さく続いた。
「瀬人って普通の格好もできるんだな。またやってよ」
 普段と何が違うのか実のところ海馬にはわからなかった。人に指示を出して用意をさせただけだった。けれど城之内が楽しげだったので考えておくとこたえた。
 駅への道は海風が強かったが、手をつないだ分だけあたたかかった。
「今晩は曇ってるから星見えないなー。海馬……、瀬人の作ってくれるシステム、楽しみにしてる」
「まだ面白いと思っただけだぞ。…フルネームで呼ぶな… 」
「聞かれてたら、今日の苦労が水の泡になるとこでした。
瀬人、ちょっと良い?」
 城之内は周囲に人気がないのを確かめると眼鏡で隠された海馬の瞳を見上げた。足を止めると後頭部に手を添え引き寄せてキスをした。
風に濡れて冷たい唇を割ると熱い舌が待っている。舐めて吸って絡め取って、海馬から溢れかけた唾液をゴクリと飲み込んだ。お互いの息が上がって来た頃にようやく海馬を解放した。
「一週間分の瀬人をチャージした感じ」
 城之内は腕の中に海馬を抱えたまま満足げに言った。
「身体も暖かくなった」
「……」
「え、たんなかった?」
「外では軽めにしろと……」
「忘れてた……反省する!でも我慢できなかった。眼鏡って意外と邪魔にならないのな」
 苦笑まじりにこたえられて海馬は文句を言うのも面倒になった。頬の熱がなかなか覚めなくて困らされた。
「今度はそっちに遊びに行くから」
 一度ぎゅっと抱きしめるとまた手をつないだ。今度は反対の手を重ねてみる。
「何か意味があるのか?」
「ないけど、どうせなら両方あったかくしておきたいかなって」
 楽しげな口調だった。屈託のない城之内の様子に今日は負けだと認めると、それ以上話しをするのを諦めた海馬だった。

20150426