◆青い鳥(2015) <社長室にて別Vr.>


 海馬の部屋で抱き合ってから数分。
 今晩は疲れていたのか海馬が早々にダウンした。
 シルクのローブを着せてやろうか迷ったが、健やかな寝息をたてていたのでそのままにしてシーツだけを掛けた。額や背中の汗と、腹の上に散ったものは拭ったから構わないだろう。
 軽くシャワーを浴びて戻っても変化はなかった。
 動かしたら起こしてしまうような気がした。
 城之内は隣に滑り込むと、たまには寝顔を見ているのもいいだろうと、海馬にもっと触れたいという欲望を封じ込めた。

 普段は上から覗くことのできない、栗色の髪と同じ色の眉毛と睫毛。
髪は程良く張りがあってしっとりとしている。白い肌はなめらかで、光る産毛は金色。
高く通った鼻筋に、意外と小さな口。色素の薄い唇は触れると驚く程柔らかいのを知っている。
きれいな顔だなと改めて思った。
 そのためか、数日前に読んだ記事を思い出した。
『生きている芸術品』海馬がそう称されていた。
〈ただし黙っていれば〉などという注意書きが付いていた。
 整った顔と長い手足はそれだけでも美術品の価値がある。ところがその言動は厳しいを通り越していて、生半可な知識人では太刀打ちできない、そのような文章だったろうか。
車の側での立ち姿と、椅子に座って書類を片手に指示を出す写真が添えられていた。
どちらもビジネスでの強さを纏った笑顔だった。
――話している海馬瀬人の良さがわからないなんて記者は何をみてるんだろう。
例え口からもれるのが罵詈雑言だとしても、動いている海馬が良いのに。
そりゃビジネススマイルはかっこいいよ……
オレのために笑ってくれることなんて、なかなかないけど。
そんな笑顔とは違うんだ――
 城之内は思考の渦に入り込んでいた。

「なんでこんなに海馬のこと好きなのかな」
「オレに訊いているのか?」
「ふえっ、声に出てた?!」
「さっきからずっとな」
 ゆっくりまぶたを開くとぼんやりとしていた。方向は定かでないまま海馬は言葉を放った。
「じゃあ、あの」
「ムカツク、も聞いていた。ひとつあげるたびに最後に付けていたが、貴様は女子高生のようだな」
「オレもお前も男子高校生だろっ。普段から老けてんだから、オヤジ臭いこと言うなよ」
 寝起きのとがった気分のまま(何しろ煩くて起こされたので)、城之内の方へ顔を向けた。
言語中枢より視覚のほうが目覚めが遅いらしい。
「………」
「あー、あー、訂正します。落ち着いて見える」
「ほう」
「なんで素で女王様みたいなんだろうな」
「…王ではないのか」
「海馬にはひれ伏すじゃなくて、かしずけ、ひざまずけって感じがするんだ。
 王様はやっぱりアテムだろ。あの威圧感」
 海馬がやっと捉えた表情は、なぜか他の男を称えていて腹立たしかった。
「国語は点が取れると言っていたのは勘だけか。
では遊戯のところに行くか。オレもデュエルがしたいしな」
「もう、今の遊戯は遊戯だろ。オレとデュエルしよう!」
 城之内はこめかみあたりに触れてから栗色の髪を梳いた。話をする海馬の顔を見たかった。
「ふぅん。勝てる見込みもないはずだが、凡骨の意地を見せる気か」
「うん?なんで女王様かわかった。目付きがやらしいからだ。人の反応見て楽しむところあるよな。
もっと泣きわめけー、死んでしまえっ、みたいな表情してるとき、あれがいやらしい」
起きてくれたのが嬉しくて、つい饒舌になってしまう。
「デュエルの話をする気はないのだな」
「デュエルしてるときのお前の話だけど?」
「何だと」
「そうそう、オレはあれにやられたんだ。あの妙な色気。
 昔は勝負しろって言っても全然相手にしてくんなかったのに。
急に付き合ってくれるようになったな、そういえば」
「……気分が変わることも、ある」
 むだとわかっていても海馬は少しだけ顔を背けた。髪から覗く耳の先が赤い。
 今の話のどこに引っかかったのかは、別の機会に聞いてみようと城之内は話を続けた。
「デュエルするたんびに、ラブレター貰ってただろ。国際中継したりするとさ。
英語だか何語だか言葉がわかんなくても、Kaibaって綴られてるのはわかるから。
その前後に何度も同じ言葉が続くとさ、好きですって書いてあるんだろうなーって。ゴミ箱の読んじゃった」
「ちょこまかとネズミか」
 ……実験は付けなくていいんだ、と海馬の髪を梳いていた手が止まった。
 それを見抜いた海馬は付けて欲しいのか?と、言葉とは裏腹にきれいに笑った。
「あれを愛称だとか言うなよー、まじへこむ。泣きたくなる。
そんなことを言う奴は鳴かせてやる!」
「…何が楽しいのだ…」
「普段澄ましてるからかなー。今みたいな、拗ねてる表情もいいな」
「拗ねる?」
「気付いてないんだ。伏せ目がちで睫毛が半分くらいかかってて、口元ぎゅってして斜めを見てる」
「…そうか」
 それ以上見せたくはなくて、金色の髪の肩口に顔を埋めた。

 城之内の乾いた掌が頭や背中をゆっくりと撫でていく。心地良くてまた眠りに落ちそうになった。
 癒しの手だ、そんなことを思ったが伝える気はなかった。
「オレは近くにいないと落ち着かない。いつでも触りたい。触らせてくれるから好きだ」
 うっとりとした声に引き戻され、海馬は意識を浮上させつぶやいた。
「しばらくしたら側にはいられないと思うがな」
「何それ」
揺すられて、更に覚醒する。
「言葉どおりだ。学校を出たら接点はないだろう」
「海馬どっか行っちゃうのか」
 城之内の身体の下に敷きこまれ、強い力で押さえ付けられる。首元に水滴が落ちたのを感じた。
「簡単に泣くな。元々どうして貴様といるのかわからないぐらいだ」
「楽だって言ってた」
「何?」
「オレといると、ほっとするって」
「そんなことを言った覚えはない」
「寝入るときに、たまに。オレの頭を撫でてくれることもある。無意識なんじゃないか」
 城之内が涙を拭った。感情のこもったそれは、海馬が失くしてしまったものだった。
「オレは、人を好きになるという感情がよくわからない。わからなくしたのかもしれない」 
――まだ大切はわかる。城之内には幸せになって欲しい――
「城之内…お前は、オレと違う。
 人の輪の中にいる。すぐに誰とでも仲良くなれる。本気で他人を心配する。
それがお前の生き方だと思う。ずっと一緒にいられる相手を探せ」
 話し終える前に裸の肩を鷲掴みにされ、痛みに海馬の顔が歪んだ。
「勝手に決めんな!オレはお前が良い」
 腕から逃れようと海馬が動いた。腕力なら海馬のほうが上だ。
不自由な体勢から城之内の腕を掴んでほどき、身体の下から抜け出した。
 サイドテーブルの上にあったローブを羽織ると、水差しからグラスへ注ぐ。
一息に煽ると喉が乾燥していたのがわかった。
 目の前の男の分も注いでやり、ベッドに座り背もたれに寄りかかった。
 グラスを突き出すと受け取っておきながら逡巡している。城之内のそんな素直さが面白いと思っていた。
 決心が付いたようで飲み干すと、城之内はだいぶトーンダウンして話を続けた。
「海馬は大学行くのか。それ、日本じゃないのか」
「まだ決めかねている」
「教えてくれる気があるのかないのかどっちだ」
「訊いてどうする。貴様が入学できる訳がないだろう」
 話の方向性が見えないことに、海馬は苛立ちを感じた。
「あ、やっぱりどっか学校に行くんだ。それなら働き口なんていっぱいある」
「何を言っている?貴様の生活はどうするんだ」
 城之内は真っ直ぐに海馬の目を見た。
「オレ、自分がこんなに執着を持つ奴だって知らなかった。かっこ悪いのはわかってる。
…ってか気持ち悪いよな。
でも海馬と一緒にいたい。海馬が帰ってくる場所になりたい。
海馬にオレをあげる。全部あげる。
海馬はちょっとでいいから、オレのこと考えてよ」
 
 頭が真っ白になった。
 真剣な告白に何と答えたらいいのか、海馬にはわからなかった。
――プランがなかったのはオレのほうだ。
 城之内と約束ごとを交わそうと、考えもしなかった。
KCの未来など己の力で切り開けるものに意識が向いていた。
 春から高3で、城之内との付き合いも1年間かと漠然と思っていた。
 その後きっと、城之内の隣には誰かがいて笑いかける。そこに自分はいないのだ。
仕方がないのだと諦めていた。
 ……諦めていた……?
 頬の上を何かが滑っていった。
 ゴメンとしきりと城之内の声がする。
 五月蠅い、煩い、うるさい、オレのことなどほおっておけ!
 声には出さなかったが、城之内から見えないようにシーツで身をくるんだ。
 感情から溢れる涙など、とうに枯れていると思っていた。嗚咽が漏れて隠しようがない――
「…海馬?」
 城之内は布を持ちあげて、ローブの袖口でそっと頬を拭った。
「抱きしめても良い?」
 城之内はもう泣いていなかった。照れたような笑顔が腹立たしい。普段尋ねもしないくせに、何を今更と海馬は思った。
……それは聞かれなくても、側にいて気にならない存在であるということを認めることでもあった。
「だって今のお前、暴れるか口聞いてくれなくなるかの、どっちかっぽいんだもん」
 あまりの内容に異を唱えたくて、どちらでもないと首を振り、海馬から城之内の背中に手を伸ばした。
けれど決壊した涙腺は確かに暫くそのままで、話すことはできなかった。


 海馬にとって、心の底から今日が休みで良かったと思ったのは初めてのことだった。
そろそろ遅めの昼食をとろうという時刻になっていた。
 まぶたの腫れがようやく引いた。冷やしたり、温めたりと交互にタオルを替えたおかげだろう。
 朝方までタオルを替える作業を繰り返して、ろくに睡眠もとらずバイトに行ってくると出掛けた男は、メッセンジャーの役目を果たしていったようだ。
そうでなければ、モクバが朝食に現れないのを心配していただろう。
 少し緩めの白いシャツにカーディガン、ウールのパンツで、鏡を後にして大きく伸びをした。
 窓の外の空が青かった。


 夕べ何か決めごとができたわけではない。
 お互いが大切な存在だと気付けただけだ。


 他では替えがきかないと、海馬が気付いてくれたことは、大きな進歩だと城之内は思った。
 運河沿いの道で前後左右に人がいないのを確認すると、恥ずかしかったー!!と川に向かって叫んだ。
――だって、オレがあんなこと言われたら……引くよ。
 ストーカー行為します宣言だったよな?いや、ひもにしてください、か?
どっちもだめな男じゃん。うち借金だってあるのに。
 海馬が普通の奴じゃなくて良かった……
 海馬に触れると癒される。だから一緒にいたい。
それを実行するためには、計画が必要だろう。
何をすれば、ワールドワイドな海馬サマと共に行動できる?――
 考えることはたくさんあるけれど、海馬が自覚してくれたから……幸せで楽しみだと自然と笑みがもれた。
――海馬はモクバに打ち明けただろうか。
意外とオレよりぎりぎりまで悩んだりするんだよな。私生活についてだけだけど。
……勝手にサプライズ!でも良いか。
オレもお前のアニキになるからって驚かしてやろう――

 夕暮れ時、城之内は目指していたケーキ店を発見した。モクバが好きな店だった。
誰の誕生日でもないけれど、奮発してホールケーキを土産にしたかった。
 そして兄よりしっかりした弟に、人生設計を一緒に考えて貰おうと思い付いた。
 海馬邸の夕食まで2時間。デザートタイムはその後だ。


20131110 / 20150525
『社長室にて』の別バージョンです。
へタレ城之内君を書くなら今度は覚悟を決めて書きたいと思います。
海馬君が黒いのは大好物なんですが、おかしい。なぜかそうならない。
文章に耐えきれなくて2015年にもちょっと書き足してしまいましたが、直らなかったです(>_<)